┃アルコバサの修道院┃基本データ
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国名:ポルトガル共和国
所在地:レイリア行政区
登録年月日:1989年
遺産種別:文化遺産・・・ranking
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┃1┃アルコバサの修道院とは?
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アルコバサの修道院とは、正式名サンタ・マリア・デ・アルコバサ修道院
といいます。
ポルトガルが独立、王室が誕生し、1139年アフォンソ・エンリケスが国王に
即位し、国土回復戦争を十字軍と修道会(シトー会)に置くことにしました。
12世紀末、完成した修道院はゴシック様式で階段がアーチで飾られ、
聖堂、5つの回廊、7つの寮、宿泊所、台所、食堂などがありました。
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┃2┃「涙の館」事件
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14世紀半ば、ポルトガル国王アフォンソ4世は、
カスティーリャ王国(後のスペイン王国)コンスタンサと息子のペドロが
結婚することを望みました。
しかし、ペドロはコンスタンサについて来た女官イネス・デ・カストロと
両想いになりました。
ペドロは国王の意思に従ってコンスタンサと結婚しましたが、
コンスタンサは若くして亡くなります。
やがて、ペドロとイネスは子をなしましたが、国王は暗殺者を使って
イネスと子を殺害しました。
この事件が起こった建物は「涙の館」と言われています。
ペドロが王位を継いでペドロ1世になると、妻の亡骸を掘り起こし
王妃の戴冠式した後、
アルコバサの修道院で緻密な彫刻が施された棺に入れました。
わずか10年後、ペドロ1世も亡くなり、
イネスの棺とペドロの棺は並べて安置されました。
二人が目覚めた時、お互いの顔が見れるように。
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┃3┃アルコバサの修道院の感想
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ペドロもイネスもコンスタンサも、辛い人生でしたね。
生きるって、こんなに辛いのかなぁ。
現代、離婚率は年間約40%に届こうとしています。
何にでも失敗は許されるように、結婚も失敗が許されるようになりました。
正直に生きられるようになった時代の裏に、こんな昔の人の犠牲があったことを
忘れないようにしようと思います。
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